昨日書いたフランシスコ先生のことで思い出したエピソードがある。
先生は当時すでに70半ば近くだった。
本当におじいちゃんという感じだった。
不思議なのだが、同じくらいの年齢だったもう一人のドイツ人の先生はおじいちゃんという感じではなかった。
ラテン系とゲルマン系の違いなのだろうか。
それはいいとして。
あるときフランシスコ先生は体調を崩された。
熱が出てしまったようだ。しかもわりと高めの。
ところが。
授業をやるのだ。
大学の講義は1時間半。
70半ばの先生が高熱を押してやって大丈夫なのか?
みんな心配していた。
が、その日はしっかり最後までやりきった。
ふらふらになりながら帰っていく先生を見て全員が明日は無理だろうな、と思った。
ところが。
次の日いくと休講になっていない。
え?やるの?大丈夫なの?
もはや心配どころではない雰囲気。
そして授業が始まる時間。
教室にいると、違う先生がやってきた。
その先生いわく、
フランシスコ先生は強制入院になりました。
そうしないと授業を休もうとしないからです。
神父様たちはみなこうだったよ。
次についたドイツ人のクラウス先生は
大学の授業と中世思想原典集成出版プロジェクトと放送大学とそのテキスト執筆と神父として教会での礼拝と一般向けの講座と恵まれない人たちへの奉仕活動と昼休みには生徒と共に聖書購読と休日には修道院での瞑想会とか
いつも同じような絶対安いであろうポロシャツ着ていて
それだけの仕事を毎日こなしていて
特に報酬をもらうわけでもなく
この人たちには絶対かなわないと思わされたし純粋に尊敬の念をもった。
こういう人たちを間近に見ることができて幸福だったと思う。
タオバオ代行
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